今日、大なり小なり稲荷神社と称する神を祭った社をもたない地方は少なく、お稲荷さんとして周辺の村々からも尊崇されたお宮は、稲荷神による信仰です。稲荷信仰は田の神の信仰であって、春の耕作のはじめこの神を迎え、秋の収穫の終わりに、この神を送るという思想から、山の神が春に下って田の神となり、秋には山に戻って山の神となるという信仰を生むに至っています。
市原稲荷神社の祭神は、 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)・保食神(うけもちのかみ)・大山祇神(おおやまづみのかみ) の三柱で、「市原稲荷の大神」と奉称しています。
三神ともに太古よりの神々で、天にあっては巽(たつみ)(南東)の方角を司り、庶民にあまねく福を授け、厄いを祓(はら)い、地に在りては人の衣食住を守り、農業・商業・工業の繁栄を導き、生成化育・発展充実を理想とされるご神徳をお持ちの神です。
稲荷神とは食を司る穀霊神であり、屋敷神として多くの家々にまつられています。日本中で最も広く信仰されている神様です。全国の神社の30%はこの稲荷神社です。
五穀豊穣、家内安全、大漁守護など。
古来よりキツネは稲荷神の使いとされてきました。全国の稲荷神社には狛犬ではなく、キツネの像が神前を賑わしています。
キツネが宇迦之御魂神の神使となった理由は‥
(1) 一般には「うかのみたまのかみ」の別名が「みけつ神」であったことから、ミケツのケツがキツネの古名「ケツ」が想起され、用いられた。
(2) キツネを田の神の先触れと見たから
尊い神は容易には姿を見せてはくれません。この神の使いであるキツネを通さなければ神霊をうかがい知ることはできないと考えられ、キツネがご祭神とともにまつられる必要性が生まれたのです。
●狐塚 | キツネは田の神とされていたので、これをまつる祠が各地にできました。これが、いわゆるキツネ塚です。 |
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●キツネと託宣 | キツネを通じて神から託宣を聞こうとする行為も各地によく見かけられる風習です。人間にある種の霊が憑くというのは、洋の東西を問わず昔からある現象です。日本では稲荷の先走りであるキツネが、神霊の託宣のために人間にとり憑くと考えられています。イナリオロシ、イナリサゲとも言います。 |
●鳴き声 | キツネの鳴き声で吉凶を占うというものです。 |
●寒施行 | 冬の寒中にキツネに食物を与えて回る習慣。地域の稲荷講の人々が、狐塚や狐穴にお供えの赤飯と油揚げをセットにして供えました。穴施行ともいいます。 |
●キツネ狩り | 小正月の頃、七歳から十二歳の男の子が、ワラで作ったキツネを青竹の上につけ、それを先頭に太鼓をたたきながら村中を巡り、手に持った御幣を振りつつ、「福キツネ」を迎えてくるというものです。 |
●キツネ憑き | 憑依は、古い時代には神の使いである動物の霊を呼んで、神の言葉を聞くというまじめな信仰だったのですが、仏教の教えが広がるにつれて、託宣としての様相が薄れ、その後は呪術と結びついて、邪宗という印象が強くなってしまいました。憑き物は特定の人、家に憑くと信じられ、これらの”憑き物おとし”に活躍するものが陰陽師や密教僧などの行者や祈祷師で憑き物信仰の主たる担い手であったようです。 憑き物には他に、蛇、狸、猿、犬があると言われています。 |