今日、大なり小なり稲荷神社と称する神を祭った社をもたない地方は少なく、お稲荷さんとして周辺の村々からも尊崇されたお宮は、稲荷神による信仰です。稲荷信仰は田の神の信仰であって、春の耕作のはじめこの神を迎え、秋の収穫の終わりに、この神を送るという思想から、山の神が春に下って田の神となり、秋には山に戻って山の神となるという信仰を生むに至っています。
市原稲荷神社の祭神は、 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)・保食神(うけもちのかみ)・大山祇神(おおやまづみのかみ) の三柱で、「市原稲荷の大神」と奉称しています。
三神ともに太古よりの神々で、天にあっては巽(たつみ)(南東)の方角を司り、庶民にあまねく福を授け、厄いを祓(はら)い、地に在りては人の衣食住を守り、農業・商業・工業の繁栄を導き、生成化育・発展充実を理想とされるご神徳をお持ちの神です。
倉稲魂神 [うがのみたまのかみ] |
素戔鳴尊(すさのおのみこと)の御子 | 御母は神大市姫神(かむおおいちひめのかみ)といい、百穀・食物を守られる。 |
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保食神 [うけもちのかみ] |
伊弉諾神(いざなぎのかみ)の御子 | 穀物・養蚕の道を始める。 両神ともに御饌津神みけつかみと称え、稲成(いな)りすなわち物を生み成す実結びの神。 |
大山祇神 [おおやまづみのかみ] |
伊弉諾(いざなぎ)・伊弉册(いざなみ)(冊) 二神の御子 | 山を守り、山より産出するすべての物を司る神。 |
境内には摂社・末社があります。摂社というのは、本社に付属し、本社にゆかりの深い神を祀る社をいい、本社と末社の間に位し、所によって境外にあるところもあります。末社は本社に付属する小さな社のことをいいます。
明治6年の「神社調べ」によると、摂社には左記があり、いずれも「勧請年月ハ不分明」と記されています。
末社には市杵島社・伊文山社・丹生川社・山神社・諏訪社が祀られています。
市杵島社 |
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)をお祀りしています。市杵島姫命は市姫ともいい、厳島神社の主神です。「市原の弁天さん」と親しまれているのが市杵島社であり、安永3年(1774)城下4か村の入札によって社地・道具が出来、天明3年(1783)土井利徳(としなり)がご神体を寄付されたといいます。 | |
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丹生川社 [にうかわしゃ] |
古文書によると享保21年(1736)夏の終わりに領内が旱魃(干ばつ)に見舞われ、藩主三浦志摩守義理が雨乞立願したところ、8月1日潤いの雨に恵まれたところから一社を建立して、岡象女神(みずはのめのかみ)を祀り、八朔(はっさく)を祭日にしたといいます。岡象女神は水神・雨乞いの神として信仰され、領内村々が費用を分担して祭りを行い、雨乞い御礼をあわせ行いました。市原竜王宮と呼ばれていたが、明治二年清水社と改め、さらに丹生川社と改められました。 | |
山神社 |
山の神をお祀りしています。全国一般に見られる神社で、農民のいう山の神は春に山から下って田の神となり、秋の収穫がすむとまた山に帰って山の神となりました。神社の祭神としての山の神は、大山祇命(おおやまづみのみこと)や、木花之聞耶姫(このはなのきくやひめ)とされていますが、山の神の性格については色々な伝えがあります。 | |
刈谷神社 |
刈谷神社の基は昭和初期まで旧刈谷城郭内にあった土井神社(明治年間の亀城殖産合名会社創設に当り土井家の藩祖利長公を祀る)にあります。昭和18年・19年頃の高射砲探照灯陣地備築のため、市原稲荷神社境内に刈谷士族会の手により社殿を移転しました。戦後、土井家歴代藩主、地元自治功労者、天誅組松本・宍戸両志士、日清・日露戦争以降の戦没者の英霊を併せ祀ることとなりました。(昭和23年秋奉斎) |